豊かさを感じる心のスペース

161115-harudaily

いやー、この風邪しぶとーい!9日の夜から声が出なくなってもう6日よ!6日も自分の声聞いてない。あー声の出し方忘れそう(笑) あー、しゃべりたい!(笑)

でも、ずいぶんと体は動けるようになり、今日は本当に楽しみにしてた野生動物の会をなくなくキャンセルして、でもカズと一緒に楽しい作業してきました。

こういう暮らしをしてていつも思うことは、どこまで「昔ながらの方法」に戻るか、ということ。

文明の利器に頼る部分も大切で、なぜならそれこそ先人たちの智慧の進化なわけで、でもそれが「便利さ」に傾倒し行き過ぎたからこそ、いま私たちが直面している問題に向き合わされてるもの事実。

田舎のスローライフなんでどこにもないよ(笑)と笑い話でよく言うけど、確かにこういう農的な暮らしは、まったくもって暇なし(汗)

朝昼晩、時は巡り、季節は待ってくれなくて、やることに追われる毎日だけど、そこで「忙しく」して心を失い始めると、そこにある「豊かさ」を受け取れなくなる。「豊かさ」とは、心のスペース、その余裕にこそ宿るものだからね。

つい私も、畑から豊富にとれる野菜を見て、あー豊かだ―!って感じちゃうけど。いや、たしかにそれはものすごく豊かなんだけど、あくまでも物質的な豊かさ、という意味では、品が変わっただけで、物が溢れた便利な暮らしを享受する心と根本的には変わらない気がする。

米を店頭で買うんじゃなく、こうして唐箕をかけ籾摺り機にかけ、貴重なお米を自分たちの手で食べれる状態にすること。

この行為も、忙しさの中で、心が今ここになく、先へ先へと焦りながらやってたら、それは全然豊かな暮らしじゃない。

豊かさを宿せる心の余裕、スペースを保つこと、それが豊かな暮らし、生き方なんじゃないかって、すごく感じる。

その境界線、エッジをさぐるのが、今こうして暮らしを模索してることにほかならない。どこまでできるか。どこまで心に余裕をもってできるか。どこまで豊かさを感じるスペースを保てるか。

呼吸して、体の力を抜いて、今ここにいて、今ここにある豊かさを感じて、そして自然体で、流れに委ねて生きていけるか。

そう、それを体現したいんだ。

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